2011年04月28日
南三陸DAY
地元FM局の女の子の実家が南三陸で帰れないし、
炊き出しがまだ2回しか来てないということで
「行くしかないでしょうーーー!!」と先輩立ち上がる。
お前も立ち上がるんだよーと
またまた行ってきました。。。

ええーーーまだ海水引いてないのーーー??



目的の避難所の両サイドはこんな感じです。

避難所がある高台から見た被害状況です。

避難所に着くと支援物資が到着しました。

ボランティアの方々と住民の方々が協力し合って搬入です。

我々もそろそろセッティング。
まずは、友人のインターネットカフェ提供の水ヨーヨー!

大人気でしたねー! Y君サンキュー!!


次はわたがしコーナー。

こちらも大人気。
K君のわたがし作りの腕があがってます! 本業こっちがいいのでは・・・

M町内会の皆様ありがとうございました。

文具のプレゼントコーナー。

こちらは、酒とタバコの配給コーナーです。
みんな我慢してたんだ。。。

そして、FM局で何ができるかと考えた結果。
オトのプレゼント。

これが、どストライクでした。

選曲も気合が入ってます!

みんな久々の音楽だと感激。
メインの炊き出しは、一風変わってお好み焼き。

今回は、ちょっぴりPOPなお祭りスタイルで笑顔に繋げられたらいいなと・・・

終盤に雨が降り、少し早めの片づけを・・・

1人だけ過剰装備。

物資の中にストームケトルが入ってたが、
使うの忘れてた・・・使ってみたかったな・・・

最後は地元の人と記念撮影。
以前はこんなことができる雰囲気じゃなかった。
そして、スタッフの皆さんサンキューでした。

3回目の炊き出しの感想。
物資は充実してきたように思えたが、
津波にあった場所は、何にも変わっていない。
まだまだ避難所は、毎日格闘である。
早い復興を願うばかりである。
がんばれ南三陸!!
炊き出しがまだ2回しか来てないということで
「行くしかないでしょうーーー!!」と先輩立ち上がる。
お前も立ち上がるんだよーと
またまた行ってきました。。。
ええーーーまだ海水引いてないのーーー??
目的の避難所の両サイドはこんな感じです。
避難所がある高台から見た被害状況です。
避難所に着くと支援物資が到着しました。
ボランティアの方々と住民の方々が協力し合って搬入です。
我々もそろそろセッティング。
まずは、友人のインターネットカフェ提供の水ヨーヨー!
大人気でしたねー! Y君サンキュー!!
次はわたがしコーナー。
こちらも大人気。
K君のわたがし作りの腕があがってます! 本業こっちがいいのでは・・・
M町内会の皆様ありがとうございました。
文具のプレゼントコーナー。
こちらは、酒とタバコの配給コーナーです。
みんな我慢してたんだ。。。
そして、FM局で何ができるかと考えた結果。
オトのプレゼント。
これが、どストライクでした。
選曲も気合が入ってます!
みんな久々の音楽だと感激。
メインの炊き出しは、一風変わってお好み焼き。
今回は、ちょっぴりPOPなお祭りスタイルで笑顔に繋げられたらいいなと・・・
終盤に雨が降り、少し早めの片づけを・・・
1人だけ過剰装備。
物資の中にストームケトルが入ってたが、
使うの忘れてた・・・使ってみたかったな・・・

最後は地元の人と記念撮影。
以前はこんなことができる雰囲気じゃなかった。
そして、スタッフの皆さんサンキューでした。
3回目の炊き出しの感想。
物資は充実してきたように思えたが、
津波にあった場所は、何にも変わっていない。
まだまだ避難所は、毎日格闘である。
早い復興を願うばかりである。
がんばれ南三陸!!
2011年03月27日
四万十塾さんボランティア活躍中
本日2度目の石巻。
新たにメンバー2名加わり行ってきました。。。

宮城に入ったらすぐに給油です。

もし行く人がいましたら国見がお勧めです。
その手前のSAは、いつも激混みです。
石巻港付近の道も、かなり整備されました。

そして現地、避難所に着くと…
カナディアンカヌーを積み存在感たっぷりの高知ナンバー車。
当然、四万十塾さんしかいません!
炊き出しボラで頑張っておられました。。。さすがです!!
ちなみに四万十塾さんたちは、さまざまな災害で活躍されております。
わがまち新潟も助けられました。
それで、わがチーム今回の搬入物はと言うと…
リクエストがあった灯油と

ガソリンです。

ガソリンは、かなり貴重とのことです。

もうひとつの中学校もリクエストがあり搬入。。。
数は少ないが、ないよりはいい!!

我が隊長は、新潟到着し解散時、
「金の続く限り、このミッションはやり続けます!」と発言。
いや!「スポンサー集めましょう」と助言。
本日これにて解散!!
近日サードステージがはじまります。。。
新たにメンバー2名加わり行ってきました。。。
宮城に入ったらすぐに給油です。
もし行く人がいましたら国見がお勧めです。
その手前のSAは、いつも激混みです。
石巻港付近の道も、かなり整備されました。
そして現地、避難所に着くと…
カナディアンカヌーを積み存在感たっぷりの高知ナンバー車。
当然、四万十塾さんしかいません!
炊き出しボラで頑張っておられました。。。さすがです!!
ちなみに四万十塾さんたちは、さまざまな災害で活躍されております。
わがまち新潟も助けられました。
それで、わがチーム今回の搬入物はと言うと…
リクエストがあった灯油と
ガソリンです。
ガソリンは、かなり貴重とのことです。
もうひとつの中学校もリクエストがあり搬入。。。
数は少ないが、ないよりはいい!!
我が隊長は、新潟到着し解散時、
「金の続く限り、このミッションはやり続けます!」と発言。
いや!「スポンサー集めましょう」と助言。
本日これにて解散!!
近日サードステージがはじまります。。。
2011年03月24日
Go to 石巻.2-make smile PJ -
3月20日~21日
現場の上空は、ずっとヘリが飛んでいます。
多い時で、4機は飛んでるなー

ここでは無力の1円玉が落ちていました。

側溝に鯛を発見。いろんなところで魚が上がってます。

石巻港付近と老人。

車道も選択して走らないと落ちます。下から見ないと解りません。

ほとんどの信号がこんな感じ。

ブイや網は、あちこちに引っ掛かってます。

いよいよ避難所の中学校に突入です。
校門付近は、自衛隊の公職で入れません。
したがって体育館の非常階段から搬入を決断。
体育館は、一時的に避難所として使っていたらしい…

体育館に掲げてあるスローガンどおりの生活を送れていたはずなのに…

廊下はもうドロドロです。昨日の夜は怖かった。。。

階段付近も同じです。

1~2Fの間まで浸水した跡が…

1Fは完全に埋まってます。


遠くを見つめる被災した老夫婦。

黒板のメッセージ。 無事であることお祈りします。



水の搬入終了。肉体的苦痛など、どうでもいい…

食材も搬入終了。 被災者の皆さんお手伝いありがとう。

津波から10日ぶりに暖かいものを口にしたのが、温かいお茶。
「おいしい」「来てくれてありがとう」の言葉が聞けたことが、
うれしかったです。。。(涙)

今回は、炊き出しをする目的だと我々がいる間だけの支援となってしまうので、
被災者が自立して料理できる環境を作った。これで食料がつきるまで困らない。
早速、被災者たちが協力してトン汁を作りました。
今まで配給されてたものが、おにぎり1個。
被災者たちが、「今日はこんな贅沢していいだろうか?」と問いかけてきます。
「腹いっぱい食ってくれよー」と…(涙)

みんな嬉しそう。

そして、O君が持ってきた発電機を投入!
みんなこれで安否確認ができると大人気。
O君より、この発電機の方が役立ったね~とバカ話。(笑)

お別れにおばちゃんたちが寄ってきて握手を求めてきた。
本当に来てよかったと思う瞬間でした。
元気で居てね!また来るから!

ベースキャンプ地に戻ると
静岡・沼津魚がし鮨さんが炊き出しをしてました。
6000食持ってきたとか…
チーム静岡、半端ないですマイクロバスと大型トラックで来てました。(驚)
行列は途切れません。

沼津魚がし鮨社長さんのご好意で晩と朝食お世話になりました。
キャラが最高の社長さん うまかったです。ありがとうございました。
翌朝目覚めると、すでにキャンプ地は行列に囲まれてます。
何時から並んでいるのでしょうか?

このミッションを成し遂げたF君、一緒に向かってくれた仲間を誇りに思う。
そして物資、流通と支援してくださった先輩や仲間、各企業様に感謝致します。
またブログを通じてキャンプノウハウを色々教えてくれた仲間たちがいなかったら
ここに来る自信がなかった。みなさんにも感謝致します。

一刻も早く石巻を含む東北が元気になることをお祈り致します。
We are the world.
今までの経験から
災害のメディア報道が希薄すると同時に、国民の関心が失われていく…
この度の災害の復興には、どれだけの時間を要するのだろう。
中越地震、中越沖地震で仮設住宅生活を強いられた人たちが
自立したのも、つい最近のように思う。
本当の災害の怖さは、これからだ…
私たちは、この東北地方太平洋沖地震を遠い記憶として仕舞い込んではいけない。
私たちにできることは、これからも続く…日本人として…人として…
PRAY FOR JAPAN…
WE ARE THE WORLD.
WE ARE THE JAPAN.
WE ARE THE ONE.
ONE FOR ALL!
現場の上空は、ずっとヘリが飛んでいます。
多い時で、4機は飛んでるなー
ここでは無力の1円玉が落ちていました。
側溝に鯛を発見。いろんなところで魚が上がってます。
石巻港付近と老人。
車道も選択して走らないと落ちます。下から見ないと解りません。
ほとんどの信号がこんな感じ。
ブイや網は、あちこちに引っ掛かってます。
いよいよ避難所の中学校に突入です。
校門付近は、自衛隊の公職で入れません。
したがって体育館の非常階段から搬入を決断。
体育館は、一時的に避難所として使っていたらしい…
体育館に掲げてあるスローガンどおりの生活を送れていたはずなのに…
廊下はもうドロドロです。昨日の夜は怖かった。。。
階段付近も同じです。
1~2Fの間まで浸水した跡が…
1Fは完全に埋まってます。
遠くを見つめる被災した老夫婦。
黒板のメッセージ。 無事であることお祈りします。
水の搬入終了。肉体的苦痛など、どうでもいい…
食材も搬入終了。 被災者の皆さんお手伝いありがとう。
津波から10日ぶりに暖かいものを口にしたのが、温かいお茶。
「おいしい」「来てくれてありがとう」の言葉が聞けたことが、
うれしかったです。。。(涙)
今回は、炊き出しをする目的だと我々がいる間だけの支援となってしまうので、
被災者が自立して料理できる環境を作った。これで食料がつきるまで困らない。
早速、被災者たちが協力してトン汁を作りました。
今まで配給されてたものが、おにぎり1個。
被災者たちが、「今日はこんな贅沢していいだろうか?」と問いかけてきます。
「腹いっぱい食ってくれよー」と…(涙)
みんな嬉しそう。
そして、O君が持ってきた発電機を投入!
みんなこれで安否確認ができると大人気。
O君より、この発電機の方が役立ったね~とバカ話。(笑)
お別れにおばちゃんたちが寄ってきて握手を求めてきた。
本当に来てよかったと思う瞬間でした。
元気で居てね!また来るから!
ベースキャンプ地に戻ると
静岡・沼津魚がし鮨さんが炊き出しをしてました。
6000食持ってきたとか…
チーム静岡、半端ないですマイクロバスと大型トラックで来てました。(驚)
行列は途切れません。
沼津魚がし鮨社長さんのご好意で晩と朝食お世話になりました。
キャラが最高の社長さん うまかったです。ありがとうございました。
翌朝目覚めると、すでにキャンプ地は行列に囲まれてます。
何時から並んでいるのでしょうか?
このミッションを成し遂げたF君、一緒に向かってくれた仲間を誇りに思う。
そして物資、流通と支援してくださった先輩や仲間、各企業様に感謝致します。
またブログを通じてキャンプノウハウを色々教えてくれた仲間たちがいなかったら
ここに来る自信がなかった。みなさんにも感謝致します。
一刻も早く石巻を含む東北が元気になることをお祈り致します。
We are the world.
今までの経験から
災害のメディア報道が希薄すると同時に、国民の関心が失われていく…
この度の災害の復興には、どれだけの時間を要するのだろう。
中越地震、中越沖地震で仮設住宅生活を強いられた人たちが
自立したのも、つい最近のように思う。
本当の災害の怖さは、これからだ…
私たちは、この東北地方太平洋沖地震を遠い記憶として仕舞い込んではいけない。
私たちにできることは、これからも続く…日本人として…人として…
PRAY FOR JAPAN…
WE ARE THE WORLD.
WE ARE THE JAPAN.
WE ARE THE ONE.
ONE FOR ALL!
2011年03月23日
Go to 石巻.1-make smile PJ -
友人のF君から電話があり
「行くよ…我々は行動するよ…」と
まだまだ一般人の許可はでてません。
自身は、「まだ無理」と告げたのだが…
彼の思いは日本に届きました。。。
普通に考えれば、不可能なミッションだが、
新潟は2004年から、すでに3回の災害を経験している。
したがって新潟人は自然に、
公に対する気概、利他の心、慈愛の精神が生まれてくるのである。
そして今回も、彼の心を動かし、周りを動かしたのである。
PFドラッガーではないが、
彼は「行きたい」という思いから物事を決めていったのではなく
「行く」と決めたのである。

Tシャツプリントしている友人に、当日納期の仕事があったにも関わらず、
優先してもらい半日で完成!!(ごめんよー)
プロジェクト名も緊急だったのでベタです。。スルーしてください。。。(汗)
一応。儀式として任命式。

存在感ありすぎの許可書です。。。

その他、先輩、友人いろんな方々から物資、流通などの支援を頂き、
新潟市のキャンプ仲間5人とハイパーボランティア結成! いざ石巻に向けてGO!
こんな時、みんなのキャンプ道具大活躍です!
緊急車両しか通れない東北自動車道は
当然、公用車両がほとんどです。

PAエリアも居心地がよくありません。

その中で、この車両は当然目立ちます。。。(滝汗)
高速では、災害支援車両しかないのにレジャー???(違いますから…!!!!!)

以前、友人のキャンピングカー屋さんで
80年代くらいのレジャー全盛期のお役目を終えたようなキャンピングを発見!
購入してから一回も使ってなかった。こんな時に役立つとは…
人生初のけん引が…災害支援とは…
PA入るたびにバックの練習してました。。。(汗)
そして、その後、石巻市役所に着き、炊き出し機能が果たしていない避難所を尋ねる。
役場の人から出た言葉は、ほとんどが機能していないと…(苦)
その中で、車でも行けないというところがあり、
60人くらいは被災者が居るだろうという中学校へ
自ら志願しGO!
避難所は、今回の地震で特に大きな被害を受けた石巻港近隣
そこに行くには、このトンネルしかありません。
普段、自転車や歩行できるようなトンネルではありませんが、被災者は歩いてます。

このトンネルを越えると想像を絶する景色が飛び込んできました。
現地に着き、車から降り、徒歩で瓦礫の山をアップダウンし、避難所である中学校を発見。
最初、誰も居ないかと思ったが、3Fでようやく人影を発見!
暗くてわからなかったが、被災者数人の確認ができました。
これ以上の長居は、我々も帰れなくなるので、この日は確認のみで退散。
ベースキャンプ地を比較的被害の少ない郊外の大型ショッピングセンター駐車場に決めました。

この晩は、東京から来たボランティアさんとパスタを食べながら作戦会議。

次の日 3月19日(土)
友人の運送会社が、事前に運び込んでおいてくれた水などをハイエースに乗せ、先に搬入します。

昨日通ったトンネルを抜けます。
石巻港付近です。
※この先の写真は、津波を恐ろしさを再認識してもらうためにアップします。
それ以上の目的は何もございません。








目指すは、あの中学校です。
今日は、車両の入る道が出来ました。

近くで見るとこんな感じです。

ここから支援に行きます!
次回は支援編で…
「行くよ…我々は行動するよ…」と
まだまだ一般人の許可はでてません。
自身は、「まだ無理」と告げたのだが…
彼の思いは日本に届きました。。。
普通に考えれば、不可能なミッションだが、
新潟は2004年から、すでに3回の災害を経験している。
したがって新潟人は自然に、
公に対する気概、利他の心、慈愛の精神が生まれてくるのである。
そして今回も、彼の心を動かし、周りを動かしたのである。
PFドラッガーではないが、
彼は「行きたい」という思いから物事を決めていったのではなく
「行く」と決めたのである。
Tシャツプリントしている友人に、当日納期の仕事があったにも関わらず、
優先してもらい半日で完成!!(ごめんよー)
プロジェクト名も緊急だったのでベタです。。スルーしてください。。。(汗)
一応。儀式として任命式。
存在感ありすぎの許可書です。。。
その他、先輩、友人いろんな方々から物資、流通などの支援を頂き、
新潟市のキャンプ仲間5人とハイパーボランティア結成! いざ石巻に向けてGO!
こんな時、みんなのキャンプ道具大活躍です!
緊急車両しか通れない東北自動車道は
当然、公用車両がほとんどです。
PAエリアも居心地がよくありません。
その中で、この車両は当然目立ちます。。。(滝汗)
高速では、災害支援車両しかないのにレジャー???(違いますから…!!!!!)
以前、友人のキャンピングカー屋さんで
80年代くらいのレジャー全盛期のお役目を終えたようなキャンピングを発見!
購入してから一回も使ってなかった。こんな時に役立つとは…
人生初のけん引が…災害支援とは…
PA入るたびにバックの練習してました。。。(汗)
そして、その後、石巻市役所に着き、炊き出し機能が果たしていない避難所を尋ねる。
役場の人から出た言葉は、ほとんどが機能していないと…(苦)
その中で、車でも行けないというところがあり、
60人くらいは被災者が居るだろうという中学校へ
自ら志願しGO!
避難所は、今回の地震で特に大きな被害を受けた石巻港近隣
そこに行くには、このトンネルしかありません。
普段、自転車や歩行できるようなトンネルではありませんが、被災者は歩いてます。
このトンネルを越えると想像を絶する景色が飛び込んできました。
現地に着き、車から降り、徒歩で瓦礫の山をアップダウンし、避難所である中学校を発見。
最初、誰も居ないかと思ったが、3Fでようやく人影を発見!
暗くてわからなかったが、被災者数人の確認ができました。
これ以上の長居は、我々も帰れなくなるので、この日は確認のみで退散。
ベースキャンプ地を比較的被害の少ない郊外の大型ショッピングセンター駐車場に決めました。
この晩は、東京から来たボランティアさんとパスタを食べながら作戦会議。
次の日 3月19日(土)
友人の運送会社が、事前に運び込んでおいてくれた水などをハイエースに乗せ、先に搬入します。
昨日通ったトンネルを抜けます。
石巻港付近です。
※この先の写真は、津波を恐ろしさを再認識してもらうためにアップします。
それ以上の目的は何もございません。
目指すは、あの中学校です。
今日は、車両の入る道が出来ました。
近くで見るとこんな感じです。
ここから支援に行きます!
次回は支援編で…